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ポンド危機はジョージソロスとイングランド銀行の対決だった!?

ポンド危機とは1992年に起きたイングランド銀行VSヘッジファンド(ジョージ・ソロス)の対決でポンドが暴落した事を言います。
当時ヨーロッパはERMという目標為替相場制を採用していて、欧州通貨に連動していたポンドが高止まりしていた所に目をつけたジョージ・ソロスのクォンタムファンドが大量のポンド売り(空売り)を仕掛けた事が原因で起きました。

ERMは固定相場制みたいなもので、固定相場制の中、通貨が高止まりした所をヘッジファンドが狙って大量にショートを仕掛けるのはアジア通貨危機でも同じような流れでした。
アジア通貨危機は1997年の出来事なので、ポンド危機の時の反省がアジアの新興国では生かされなかったって事になります。

アジア通貨危機の原因はヘッジファンドだった!?

ポンドが割高になっていた理由とは?

ポンドはイギリスの通貨であり、ユーロには現在加盟していませんが、当時は非常にヨーロッパ諸国との関係が強かったのです。
そのヨーロッパで採用されていた制度が為替レートをほぼ固定相場とするEMS(欧州通貨制度)と1979年に導入されたERM(欧州為替相場メカニズム)です。

1990年前後のヨーロッパでは東西のドイツが統一され、社会主義国だった旧東ドイツへの積極的な投資などを背景に金利が高く推移していました。
そして、ERMによって欧州通貨と連動していたポンドまで高くなっていたのです。

しかし、イギリス内では失業率が高まり、経済も停滞していました。
それなら今のポンドは割高なのではないか?とジョージ・ソロス率いるクォンタムファンドが大量にポンド売りを仕掛けた訳です。
1992年9月の出来事でした。

イングランド銀行はポンド買いの介入で抵抗するも・・

為替相場の急激な変動には当然政府としても対応をします。
1992年9月16日(水)にイギリスの中央銀行であるイングランド銀行が公定歩合を12%に引き上げ、更にポンド買いの介入を行いました。
しかし、それでもジョージ・ソロスのショートは継続し、その日の内に再度公定歩合を15%に引き上げるなど対策をするも無残にもポンドは売りの流れは止められませんでした。

そして、イギリスはERM(欧州為替相場メカニズム)を脱退する事を決めたのです。
事実上のイングランド銀行の敗北です。
後に、この日はブラックウェンズデーと呼ばれるようになりました。

ジョージ・ソロスは「相場は必ず間違っている」と名言?を残し、イギリスの実体経済に対して、政府がポンドを割高に固定していたと述べています。
この一大相場で10億ドルから20億ドルは儲けたようです。

ポンド危機の流れを再確認

1992年9月:ポンド売りに勢いがつく
1992年9月15日:大量のポンド売りにより、上下2.25%の変動制限ラインを超える
1992年9月16日:イングランド銀行がポンド買いの市場介入を実施。更に、公定歩合を10%から12%、15%へと断続的に引き上げ。それでも売りが優勢の相場は変わらず、ERM脱退へ
1992年9月17日:ポンドは正式にERMを脱退、変動相場制へ移行

その後のイギリス経済は?

ERMを脱退したイギリスは変動相場制を採用することになりました。
しかし、思うように改善は図れず、1995年までポンド下落が続く事になります。
そして、イギリス経済では失業率の改善、経済成長の安定化、インフレ率の安定化を重視した政策を2008年までの長期に渡って強いられる事になりました。

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